初秋の八ヶ岳で森歩き。

山が好きで、一日中森にいることがある。

森で本を読んだり、瞑想などをして過ごすのである。

趣味としてもカテゴライズしにくいので何と言っていいのかわからない。森林浴というのもなんか違う気がする。

そういうとたいていの友達には「仙人にでもなるつもりか」などと揶揄されるのだが、本人としては全然そんな大そうな事は無くて、ただ空気のきれいな場所、自然を感じられる場所で一人になりたいのだ。

デジタルデトックスとか、脳内の断捨離というとある意味ではそうなのかもしれない。

職業柄パソコンやスマホは常にオンラインだし、年がら年中エアコンの効いた小部屋の中で過ごしていると野外にいる時の刺激が何よりも大切なものに思えてくる。

敬愛する解剖学者の養老孟司氏も「人間が作った世界」で過ごす当たり前に警鐘を鳴らし続けている。僕も本当にそう思う。

 

みんな同じように電車に乗ってオフィスに行って、机を並べる。僕は古い人間だから「当たり前」と思わないけど、当たり前とされることが変わればいいと思っている。

養老孟司さん「自然で暮らす世の中に」 

だから僕が森に入る行為が登山やキャンプのそれと異なるのは、本当に誰もいない場所を探して入るという点だ。

どこどこのピークに登ったとか、大パノラマな景色を観た、はあまり本質ではない。もちろん、綺麗な自然が見たいという欲求はあるけれども。

この時期に八ヶ岳なんて激混みでしょう。なんて思われるかもしれないが、そういう観光地的なところは避けて入るので問題ない。

9月後半の八ヶ岳は紅葉には早いがすでに肌寒くとても過ごしやすいのでおススメだ。同時に雨の多い季節なのだが、上記の理由からレインハイクも好んでいる。

誰もいない雨の森を一人歩いていると、おとぎ話の世界に入り込んだような独特の浮遊感を味わえ格別である。しかし紛れもなく、これが本来あるべき自然の姿なのだ。

 

なるべく身軽でいたいので服装も基本はULハイクスタイル。雨具とベースレイヤーさえあれば何とかなる。雪が降るまではいつもトレランシューズだ。

 

こういうなんでもない林道から森に入っていく。

誰もいないと言ってもあくまで不人気スポットという意味で、道なき道を拓いて進む、という事ではない。※そんなスキルや体力はない…

先人に用意して頂いたものはありがたく使わせて頂く。

 

たまに景色の良いところに出ることもあり、そこに1人きりだと最高に梵我一如を感じることが出来る。

 

うち捨てられた頂上の看板。こういうところ大好き。

 

自然が作る奔放な意匠を眺めているだけで豊かな気分になるね。

 

なんか生きづらいなと感じたり、人間関係に煩わしさを感じるということは誰しもがあることだと思うが、そんな時にスマホの電源を切って身体ひとつで森に入ってみよう。

都会にいる事との良いスイッチングになり、人生が充実してくるかもしれない。

おススメサイト⇒茅野観光ナビ

 

おまけ。森や山小屋で過ごすときはなるべく好きなものを食べて過ごそう。